オープニング
地元の、大好きなお店が移転・新装開店する。
昨日、プレオープンのお料理を頂いた。
食と発酵をこよなく愛するシェフのお料理は美しい。アートだ。
食べると「美味しいなあ」の気持ちに
たぷんたぷんと
「嬉しいなあ」とか
「素敵だなあ」とかの波が優しくかかる。
しあわせ。
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このシェフのもとで、月に1回のサークル活動(その名も菌活。乳酸菌食品づくりの会)に参加するようになってから約2年たつ。
はじめは籠のなかや私の背のうえで眠っていたおもちくんが店中を駆け回るようになり(本当にモウシワケナイ)
ウメちゃんは立派な菌活の戦力に成長した。
2年。
ちょっとだけ感慨深い。
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はじまりは、地元の助産院で第2子であるおもちくんを産んだことからはじまった。
そこからゆるゆると繋がって、今、日々生活する地域に好きな場所や好きな人ができた。
それは、自分のなかではちょっとしたカイキョである。
子供の頃から
いつもどこか「その場」に馴染み定着することに腰が引けてしまっていた。
渇望しているのに怖くて、うまくできない。
うまくできないから怖くなったのか。
いつからか
いつも「ココデハナイドコカ」に
自分の居場所があるはずだと
「イマココ」にいられなかった。
私はもう大人だから、沢山動けるし
自分が気持ちよくいれる場所、胸がワクワクする場所に自分から出向ける。
インターネットで、いつでもどこでも人と繋がれてもうあんまり場所とか距離は関係なくなっていると思うし
自分の居場所は自分の中に常にあることも、知っている。
それでも、歩いて動ける範囲に、好きな場所や、笑顔を交わせる人々がいること。楽しい気持ち、嬉しい気持ちを共有できることは
私にとってトクベツで嬉しいことなんだ。
ありがたいことだなあとしみじみする。
大袈裟だなあと自分でも可笑しい。
こういうことが、「当たり前」ではない自分だったからこそ、ありがたさにしみじみするのだ。
「当たり前」じゃない自分がオトクだなと思う。
ずっと、“みんな”の当たり前が自分の当たり前じゃないことに焦っていたけど
そんな風に思えるようになった。
周りに合わせてるつもりでいつも半歩ズレていく自分にガッカリし続けてきたけど
今はそんな自分がちょっと愛おしいかもしれない。
ぐるぐるぐるぐる迷子して
やっとやっと、そう思えるようになってきたよー
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ふっくらとした豆を潰しながら
(今年初の菌活は味噌の仕込みでした)
そんなことを考えていました。
おもちくんがずっと室内で収まるわけもなく
何度も周囲を散歩する。もう紅梅の花が綻んでいて香っていた。
新しいお店のすぐそばには、川と桜並木。
満開になったらほんとに素晴らしいんだ。
こどもたちと歩こう。
あのお店に美味しいものを買いに行こう。
春が待ち遠しい。
そのまえにもう10キロくらい味噌仕込みたいな。
出来るかな。