ホロホロブレイクスルー
ブレイクスルー
するときって
パッカーン
とか
ピッシャーン(稲妻)
みたいな感覚なんだって想像していた。
実際自分が体験すると
ホロホロ…
っていうのが1番しっくりくる。
色んな角度から、諦めずに、コンコンと、小さなミノで岩を砕いていくうちに、やがて核心に到達して、ホロ… ホロホロ…と崩れ落ちていく。
その掛かった時間も、小さなミノのひとうちも、
ぜんぶぜんぶ
必要だったんだ。
・
・
・
私は、世間でいうところの「専業主婦」というやつなのでアル。
なので家事を頑張らなくてはいけないのでアル。
少なくとも外でお仕事してるおかあさんよりもデキルゥーな母でなくてはならない。
子どもにもたっぷりと愛情をそそぎ、思い切り向き合ってこそなので、アール!!!
・
・
…と気合をいれては挫折し現実逃避したり自分を責めてみたり(←これも現実逃避ね。)して5年もの年月が経とうとしていた、去年末。
ブレイクスルーが起きて、私の家事育児に対する意識は劇的に変わって
今の自分の生活がすごく愛おしく感じるようになりました。(ワーオ)
どう変わったか言葉にしてみると
まず、家事育児に対して「得意になる」という目標を捨てました。
というか、そもそも、得手不得手という概念をなくしました。
好きか嫌いかという概念も持たない。
ただひたすらに「今」目の前の作業をいかに楽しくしてやるか。
そしてちょっと先の自分の快楽(スッキリする、スムーズで楽など)にひたすら貪欲になる。
時短、とか効率を追うのをやめる。
かといっていわゆる「丁寧な暮らし」ってやつを目指しているわけでもない。
フォーカスしているのはあくまで自分の快と楽しさや嬉しさ。
でも結局それが、他(家族、こども…地域…日本…地球!)にエネルギーを与える唯一の方法だったんだ
…みたいな感覚。
(うむ〜
言葉ってむずかしいもどかしい。)
しかしこの感覚ってやつは、なかなか手綱を思いどおりに操るのが困難なものです。
掴んだと思ったらするりと手をすり抜けてどこかにいってしまったりね。
(そして山になる洗い物。子どもたちの泥服。)
ああ、もっと具体的に言語化して自分の中に落とし込めぬものか…!
ともどかしく思っていたところ。
先日本屋で、ここ最近私が考えていた事にかなり同じことを言語化してくれている本に出会ってしまいました。
密かに大興奮中。
(チョット、タイトル、キラキラシチャッテマスガ。)
(チラミセ)
実は序章部分以外、まだ斜めにしか読んでおりません。
コラコラ。
というのも ね
私にとっては、冒頭数ページでドンと本質を受け取っ満足してしまって
じっくり読むよりはやく皿を洗いたい!
みたいになってしまったの。
(スゴクナイ?!)
世に溢れている家事本たち。その時のテンションをあげるには有効でも、本質的に自分に役にたったものってあんまりなかった気がする。
(テンションをあげるのはとても大事なので、それらの本も素晴らしいのですが。)
枝葉の部分(テクニック等)は、幹の部分(本質、物事に向き合うときのスタンス、軸)がしっかりあったうえで初めて役にたつものだとすると
この本は、まさに今の私の幹に、ヒットしたのだなあ。
家事(暮らし)に向き合うって、自分の価値観に向き合うことでもあり、自分のキャパシティに向き合うことでもあるんだなあともひしひしと感じます。
(「断捨離」もそういうことなんだよね。単に大掃除じゃなくて。)
自分がどうありたいか、何をしたいか、を
手を動かしながらずっと想っている。
……こないだから私おなじことばっかりいってるなあ。笑
・
・
・
長年かかえていた「ごんた」と
もうさよならしようと、心から思えたら
ぽかんとするくらい、気持ちが凪いでいて
でもなんだかちょっとフワフワして
冬眠から覚めて穴から出た動物ってこんな気持ちかなあ。
あんなにずうっと苦しかったのに、ほんとに抜けていいのかな、なんて思っている自分を発見して苦笑い。
いいんだよ。
いいんだよ。
ブレイクスルーが続いていているのは
このブログを始めたこともあるのかな。
言語化するってエネルギーを産むな。
(だから始めたんだけど)
色々なことが変わっていきそう。
怖がらずに、変わっていこう。
大丈夫。
背中を、1日になんども伸ばす。