わたしとあそんで
たった1人の女性の前で、絵本を読んだ。
最近、ふわっと距離が近づいた友人に、きいてみてもらいたいとお願いしたのだった。
彼女は喜んで聴いてくれた。
その絵本を声に出して読んだのは初めてで、2、3回つまずいてしまったけれど、気持ちよかった。
いいはなし
いい絵だねぇ
としみじみした。
こたつに一緒に入りながら。
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ひとの前で絵本を読むようになって1年くらい。
最初のほうは、目の前の相手に向けて「届ける」イメージで読んでいた。
なかなかしっくりこなかった。
届ける とか私、何様…
という違和感もあった。
(私がつくった作品でもないしなあ。)
なにかするとき、イメージが自分のなかで定まっていないとどうにもダメな「たち」だ。
でも
概念ばかりこねくりまわしても仕方ないから
ド下手くそなまま、とにかく自分で場を設けて読ませてもらった。
いろいろなところで開かれている講習などもいきたいと思いながら、絶賛幼子育児中の今はまだむずかしい。
だから、いろんな方の読んでいる姿を拝見し、参考にしながら自分の中で模索した。
いつからだろう。
‘’自分の胸で言葉を響かせながら
そこにいるみんなで、本の中に 入っていく”
そんなイメージで読むようになったら
すごく気持ちよく読めるようになった。
長年の悩みだった、人前で何かを読んだり話したりする時に伴う声のうわずりや喉のつまり、赤面症も顔を出さなくなった。
(まあしかしそれでよく読み聞かせをしようとおもったもんだねぇ。)
そうやって声に出しながら物語に向かうと
私のとっちらかって常にいろんな音や言葉が飛び交っている頭のなかやこころの中が穏やかに凪いで
スっと芯が通るような感覚がある。
だから私はひとりでも絵本は
声を出して読む。
あんなにもコンプレックスだった
甘く幼くニュアンスの乏しい自分の声も(いやしかしほんとによく読み聞かせを…以下略)
そんなに悪くないかもしれないな
とまで、想えるようになってきたんだから
人生ってわからない。
1年前にはこの自分を想像もしていなかったもの。
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きいてくれた友人が、「連れていってくれる」
と感想をくれた。
「本の中に連れていってくれる」と。
ああ、イメージが共感できたんだ。
と嬉しかった。
こんなときもうほんと
すこぶる嬉しい。
彼女と話していたら、とびきりにとっちらかっていた頭も心もだいぶ片付いて、短くなっていた呼吸が深く戻ってきた。
絵本と素敵な女性のダブル効果ですね。
ありがたい。
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‘’友達”
この分野、コンプレックスが強いんだ。
未だに人と関わると自己嫌悪や反省がつきものだ。
ナンデミンナミタイニウマクデキナインダロ
でもやっぱり私人が好きなんだと思う。
関りながら
交わりながら
生きていきたい。
反省は
だからするんだね。
エッツの「わたしとあそんで」
こんど、とある育児の集まりの場で絵本を読ませてもらうことになって選書した。なんだか、今の私にぴったりじゃないか。
この絵本を教えてくれた友人と、こたつで聴いてくれた人は少し似ているかもしれない。
大人になってから出会えた素敵なひとたち。
ありがとう。