てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

育む才

前回のブログから72日も経ってしまったらしい。

なんとか続けるために、書く。

もうなんか方向性もわからなくなっているけど笑 ともかく書く。


72日間の間に色々なことがあった。

いいこともそうでないことも。

前回「今までと違う歩き方をしたい」

と書いていたけど

気がつくとまた同じような歩き方をして

おなじような迷い方をして

おなじような転び方をしている。

うずくまって、恨めしげに空をみあげ

抱き起こしてくれる「だれか」をまってみたり。


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わたしは世話焼きではない。

世話をすることに、さほど喜びを感じない。


…正直にいうと、たまに 苦痛すら感じる。


そのことが、いつもどこかコンプレックスだった。

なんというか、女性として劣っている感じがするのだ。

(それが馬鹿げた発想なのはわかっているのだけど!)


動物が大好きだけど飼わないでいる。



だけど

例えば性格診断とか
あるいは占いの類で

よくいわれるのだ。

「あなたは育む才がある」と。


そのたびに、


うーん!?


となる。


あるとき、リーディングを受けて

あなたは人を育てる才がありますね、といったそのおじさんのことが、なんだかとても「いいな」と感じたわたしは正直に違和感を伝えた。


「だってわたし、何かの世話をしたり面倒をみたりするのがすごく苦手なんですよ…」

そうしたらそのおじさんは、ふっとリーダーの顔からひとりのおじさんの顔になって、笑った。


うん。だからこそでしょ。
だからこそ育てる才能があるんだよ。



その言葉が、「あー…!」とすごく腑に落ちたから、今でも鮮明に覚えているのだ。


世話することと育てることは 違うんだ。


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母親としてのわたしはポンコツがすぎて

心底わがこたちが可哀想だと思ってしまうときがある。

自分の気質がよくわかっているから、大好きな動物を飼わないでいるのに

人間のこどもを迷いなくつくってしまったよ…

と、とほほとなる。

世話、でいえば最低限のことしかしていない。

たまに気が向いて甲斐甲斐しく世話焼きをしてやると、ふたりはとても嬉しそうに、甘やかな笑顔をみせる。

その顔をみるとわたしもまた甘やかな気持ちになって
わがこたちが幼く、母を求める時期はみじかいのだから、もっともっとこうしてやりたい
なんて思う。

だけど次の瞬間、そのモードはどっかにいっちゃうんだよなあ。

あーあ。

ほんとうにごめん。

(ここで謝ってどうする。)


でも、こどもたちをみてると
世話を焼かれて甘えてるときより

できることが増えてどんどん自立していってることを感じてるときのほうが

やっぱりいい顔してる気がする。

(私の希望的観測もはいってる…)


「安心」の種類が違うんだろうな。

自分への信頼を獲得していくのはとても「安心」だよね。


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私が性懲りも無く同じ歩き方をして、迷子になって、けつまずいて、痛い辛いとわめいているのも
ある意味「安心」だからなんだろう。

お馴染みの、慣れ親しんだ行為。

転んだら抱き起こしてくれるひとがいる安心感は素敵だけど

次も抱き起こしてくれるよね?

と心がさもしくなっていく気も、する。

ああもしかして、「抱き起こしてもらえる自分」を確認したくて、無意識に繰り返している行動だったりして…?



育むとは なんだろう。

なんて考えていたら

「心配するのではなく、信頼する」という言葉にであった。


必要な言葉が必要なときに飛び込んでくるんだよなあ。


それは子育てについての言葉だったんだけど

わたしは
自分を育んでみよう、と思う。

自分へも、自分の大切なひとへも

心配をやめよう。

目先の安心を得るためにしていることをやめてみよう。

ただ、信頼してみよう。







あのおじさんに、また会いたいなあ