てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

半音ずれて

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ふらふらと、毎日外に出ています。

自分の気持ちのために。

こどもたちのために。


こんな綺麗だったかなあ。
私の住む街は。
父が住んでいた街は。




満開の桜に深々と降る雪。


これはオットの運転する車の窓を通して観た。
義実家に向かう、道すがら。



空から降ってくる雪の速度は独特の美しさ。

雨より半音遅れているような。


ずっとみていても飽きない。


空気が潤って呼吸しやすくて
ずっとこのまま車に乗っていたいなあと思った。

義実家に行ったら「それ用」の感覚にチューニングする。
それは決して苦ではないけれど

なんにもチューニングしない状態で綺麗なものをみていたかった。


「じいじもお空から降ってこないかしら。」


後部座席からウメちゃんの声が聴こえて


夫と目を合わせた。


なんて素敵なことをいうのかしらねぇとしみじみ言い合った。



「ジイジハオソラノウエカラズットミテルカラネ」


周りの大人から散々吹き込まれたそのフレーズが、ウメちゃんの中でちゃんと生きた物語になっている。





今日は霧雨の降る中、広い広い公園を散歩した。


天然のミストで幻想的になった
春の柔らかい野原を。


池の中につくられた遊歩道。

水面とほぼ同じ高さを歩いていると、なんとも胸が自由にひらいてくる。


おもちくんがお気に入りのパトカーのおもちゃに効果音をつけながら、はいつくばって並走する。


向う側から歩いてきた壮年の男性が
その姿をみて「ふふ」と笑う。

ウメちゃんが先に気づいて「ふふふ」

おもちくんもやっと気づいて「へへへ」


わざとおどけた仕草で笑うおもちくんをみてオジサンまた「いひひひ」


会釈をして通り過ぎた。

ハンチング帽を被ってチェックのシャツを着たおじさん。
傘をささない霧雨の散歩仲間。





お父さんに会いたいな。







まだ哀しさも寂しさもフワフワと掴みどころがない。


まさに自分が半音ずれてる感じ。


今月末の納骨まではモラトリアムを自分に許そうと思ってるけど、幼稚園の新年度とかうまく「おかあさん」出来るのか。はあ。



フワフワだけど

ハッキリと、今までとは全てが違うなということだけが全身で感じている。


いままで気に留めていなかったものやことの
美しさに気づいて愕然としていたり


逆に価値を置いていたもの、執着していたものにばっさりと興味が無くなっていたりする。


これらもまた変化していくんだろうか。


親の死はギフト


理解していて
そしてこれからもっと髄から「わかる」瞬間がいっぱいあるだろうな。そのことにオープンでいようと思う。



こんなブログだれが読むんかね、と思うけどこれは続けよう。