てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

感謝

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父を荼毘に付した火葬場は
石造りの 広い広い モダン な美術館のような建物で
(なんでもない時でも通いたくなるくらいだ!)

葬儀場からの道は、父が大好きだった見沼の春の田畑が絶景で

よかったなあ。



父の骨はしっかりと、ふとぶととしていて

勿体ない

と思った。


食べたい

と思った自分に驚いた。



4歳のウメちゃんは、死をまだ理解しきれない。
それが切なくて、でも可愛くて、救われた。

棺の蓋をしたあと、わたしの耳もとで

「じいじ、息できるのかね」
「まっくらだと怖くないかね」
と心配そうに囁いたウメちゃん。


骨壷を抱いて出てきた私に「じいじは?」ときくので、「ここにいるよ」と壺を示すと
「そんなちっちゃい箱にはいるもんか」と頬を膨らましたウメちゃん。


こどもたちが幼くてよかった。

救われた。



私は、父とうまく話せなかった時期が長かった。

父に多大な影響を受けて育ったからこそ、父子分離がなかなかできなかった。私はねじ曲がったファザーコンプレックスだ。

ぶつかる、ことすらできなくて、その手前で燻って気が狂いそうだった。

ウメちゃんとおもちが生まれたことで、石灰化したものが崩れ(崩さざるを得なくなって)
ぶつかり
砕け
こどもたちを介して気付かされ
癒され。

最期の1,2年はもう私のなかで愛しかなかった。

父との関係性をここまで持っていくことは、私の人生前半の最大の課題だった。そして私はそれを、成し遂げることができた。

この1,2年、実家から帰る車中でいつも幸せを噛み締めていた。

かみさま、ありがとう。
こんな穏やかな気持ちで過ごせる父との時間をくれてありがとう、と。

それはほんとに短かったけれど

それでも。



父は孫をとても愛していて、自分の子育て(私を育てていたとき)からは考えられないくらい甘かったけど

父が1番愛おしい存在は、もう中年になった私
だと確信もしていた。

父は行動の端々でそれを示してくれていた。



もちろん
悲しい
寂しい。


ふとした瞬間に飲み込まれそうになる。



いかないで
いかないで
おとうさん

怖い。


叫びたくなる。


でも一方で、しっかりとした声が聴こえる。


間に合った。
後悔ないな。


って。


こんなに寂しいのも
同時にこんなに感謝を感じるのも
生まれて初めてだ。


ウメちゃんとおもちには感謝してもしきれない。


全部繋がっていて、生かされてるんだね。