あげたいんだよ
1年以上前の話。
おもちくんの乳児湿疹がひどくて、電車に乗って病院に通っていた時期があった。
症状が不安定だからアトピーとも診断できないといわれていた。原因や根本治療法が確たるものでないので、辛かった。
自然療法ではじっくりとしか効果がみえず焦り
病院に通いだしたら、小さな身体に何種類も処方される薬の量(…と、ものすごい効果)に不安になり
鷹揚に構えようと務めたけど、難しかった。
貪るようにネットの情報ににかじりついてしまった。
あの時期はウメちゃんも不安だったろうな。
ある日車中で、くたびれたジャンパーを羽織り、無精髭と毛玉だらけのニット帽子が似合いすぎるほど似合うおじちゃんが、座席に深く腰掛けワンカップ大関を呑んでいた。
ワンカップ大関もまた、哀しく似合う。
おじちゃんの周りはそれとなく空間が出来ていた。
彼の、何かに恥じているような優しげな佇まい(電車の中でワンカップ大関、という行動とはちぐはぐな)に、私は直感で「いくだろうな。」と思った。
ウメちゃん、いくだろうな
と。
そして予感は的中。
ウメちゃんは嬉嬉としておじちゃんのほうへ歩み寄り、誰も座っていない彼の隣に腰掛けた。
「それ、なに呑んでるの?!」
ウメちゃんの声は大きい。
周りがヒュッと息を呑むのがわかった。
私はあえてゆっくりと小さなおもちくんのベビーカーを押しながらそちらに近づく。
「ああ、これはねぇ…」
きまり悪そうにおじちゃんは、手に持ったワンカップ大関を胸に隠すように抱える。
「お酒、飲んでんのっ?!」
ウメちゃん
容赦なし。
おじちゃんはますますきまり悪そうに背中をまるめた。
すみませーん、と助け舟を出そうとするが
悪気のないウメちゃんはもっと大きい声でいう。
「お酒すきなの?ママもね、お酒すきだよ!ね!ママ!ママはね、ビールが好きなんだよ!ね!!」
わーお。
助け舟をだすつもりが流れ弾にあたり
わたしとおじちゃん、2人の酒好きはニヤニヤと会釈をしまくった。
ええ、ママはビールがすきでございます。
目的の駅に着くまでのあいだ、ウメちゃんはおじちゃんにずっと話しかけていた。
おじちゃんはちいさく、そうかい、とか、へえ、とか返事をしながらウメちゃんの話をきいてくれた。
ワンカップ大関は胸に抱えたまま口をつけずに。
降りる駅に近づいたので、ウメちゃんに「次おりるよ」と声をかけた。
するとおじちゃんはゴソゴソとポケットをまさぐる。
飴玉か何かくれるのだろうかと思ったら、おじちゃんはくすんだ色をした百円玉を取り出してウメちゃんに握らせようとした。
「いやっ、だめですよ…」
私は咄嗟に首を振ってそれを遮えぎろうとした。好意はなるべく素直に受け取る主義だったが、お金はなんだか生々しい気がした。
ウメちゃんはじっとわたしをみつめる。
きっとものすごく、百円、欲しい。
するとおじちゃんはいった。
少し強い語気で。
「あげたいんだよ。」
そういって私の目をじっとみつめた。
酔って潤んだ、白目の濁ったその目にうたれた。
「あげたいんだ。」
もういちど、今度はウメちゃんの顔をみていう。
電車は駅についてドアが開く。
「ありがとうございます。」
私は頭をさげた。
うめちゃんは手のひらに百円玉を乗せてもらい、嬉しさのあまりに吐息のような声で「バイバイっ」といって、薔薇色の頬で笑った。
私たちは電車を下りた。
・
・
電車の中で、平日の午前中からワンカップ大関を呑んでいたおじちゃん。
あのとき、私、なんだか妙な親和性を感じたのです。
あの恥ずかしそうな佇まい。
だからウメちゃんがおじちゃんに話しかけにいった時、ちょっと慌てたけど嬉しかった。
ウメちゃんありがとうって、思った。
ウメちゃんはしばらくの間、買い物についていく度に「ママに何か買ってあげる。ウメちゃんお金持ってるから!」と鼻の穴をふくらませていた。
くすんだ百円玉はまだウメちゃんのお財布の中に入っている。
おもちくんの肌は少しずつ落ち着き、今年は投薬は必要なさそうだ。
先日久々に親子3人で電車に乗って、あの時のおじちゃんのことをふと、思い出したので、記してみました。