てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

白木蓮

前回のブログ

かいたあとも
よみかえしても
なーんか気持ち悪くて

なんだろうかこれは?と
自分の心をみつめてみた。


未熟さや弱さにきづいた。


気づいちゃったら恥ずかしいから消そうかなあって
一瞬思ったけど

それがそのときの自分の記録だから
消さずにそのまま公開しておくことにしようと思います。



新型コロナウイルスの世間の影響はまだまだ収束がみえないようだけど

それとは全然関係ないことで(でも多分全部繋がってる。)ここ最近、からだがバラバラになるような大きい感情の揺れを味わう出来事が続いた。


自分には珍しく
激しい「怒り」に支配されてどうしようもなくなったり

かと思えば、虚しくて虚しくて、なんにもやる気が出なくなったり。


どうしようもなくて


ふと、あのこならどうするだろうと顔が思い浮かんだ友人に連絡をとって話をきいてもらったら


起きたこと自体よりも、それを映している自分の心のほうにもともと怒りや虚しさがあって
誤魔化しきれなくなって溢れ出したんだなってことに気がついた。


些末な人間関係の悩みから
天災
人災
抗えない別れ

生きてるといろんなことがあるけど

でも、どんなときも
目の前に起きていることを映してしてるのはわたしの心だから
その心をみつめ続けていくしかないんだなってことにも。


(友人に感謝だ〜!)




いつも、「考える」ことで色んなことと向き合ってきたつもりになっていたけど


いま、湧き上がる感情をひたすら「みつめる」ところからやり直そうとしています。



前言撤回。


何もコントロールしなくていい

私、「中庸」の意味を履き違えてた。


無意識に「自分」のことをずーっと責めつづけていたのはなんでだろうってみつめてみたら


ひとりぼっちになるのが怖かった。

じゃあ「ひとりぼっち」ってなんだろうね。



なんで怖いんだろう。



なんで?

なんで?

なんで?




3月11日。
あれから9年もかかって、やっとスタートラインにたてたきがする。



大切な友人の誕生日でもありました。
木蓮と星が綺麗な日でした。