てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

コントロール

さっそく間があいてしまった…

書きたいことは沢山あれど、それを文章にまとめるパワーがありませんでした。

また、書きたい欲が出てきたので、書く!


やっぱり文章が好き。

必要だ。

悶々としていることも書いて自分で読んでみたらあらスッキリってことが多いのに
最近その作業を怠っている。

つくづく、人(私)ってkeepしたがるんだなと思う。口では変わりたい楽になりたいといっていても、悶々とした状態に留まっていることに安心している。

動かそう。身体も脳みそも。

f:id:pukkachang:20200301181012j:plain
(たまにおもちくんが家中の電気を意固地になって消し回るときがある。ウメちゃんがそれをとても嫌がってまたつけて回る。消してつけての大合戦で頭痛がするので、間をとってランプで過ごそうといったら円く収まった。やれやれ)


新型コロナウイルス

苦しいのはそのものだけでなくて、それをとりまく人間たちの思惑。

少し、東日本大震災時のことを思い出す。



友人と話していて、色々派生して。


「人はみんな少なからず、自分自身の鎖や傷跡を通して世の中をみているよなあ。」

と思った。

これは新型コロナウイルスに纏わることだけじゃなくて。

私もたくさん、たくさんの

こうでなければいけない
こうすべき

じぶんはこれができない
じぶんにはこれがない

こうなったらどうしよう


のフィルターを通して世の中をみている。


そして勝手に傷つく。

もしくは誰かが傷つく。


ネガティヴがいいとかポジティブがいいとかの話ではない。

悲しみや怒りはしっかり感じていい。
思い込みにもしっかりひたっていい。

でもそれが終わったら、1歩、2歩下がってみて
自分のフィルターを客観的に眺めてみると、いいなあ、と思う。


フィルターがあるってことを認識できると

それを外してみたらどうか、とか
違うフィルターを通すとどういう風にみえるのか

みたいなことが、想像出来るようになる気がする。


感性ってコントロールできないものだとずっと思っていたしすべきでないとも思っていた。

いまは

茨木のり子さんじゃないけど

自分の感性、自分でコントロールして、守ろう。

と思う。