てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

さよなら「ごんた」

成人式には行かなかった。

興味が無いフリをしていた。

引っ越しちゃったから知らせが届かないんだよねぇ、と聞かれたら誤魔化していた。

会いたい人がいなかった

からではなくて。

私に、会いたいと思ってくれる人がいると思えなかったから


だった。


引っ越したのはほんと。


前の年に姉を亡くして
振り切るように引っ越していた。


その年、わたしはひとりぽっちだった。

だれもわたしの傍にはいなかった。

カゾク もトモダチ も
なんなのか
よくわからなかった。


ヒリヒリしていた。

寂しくて
寂しすぎて怖かった。


布団のなかでべったりと汗をかいて、息を殺していた。



でも無性に、未来に向かってワクワクもしていた。
怒ったように、猛烈に、ワクワクしていた。


そして翌年。
成人式の日。

好きな人がいた。
彼と遅い朝ごはんを食べながら、窓からみえる振袖姿の華やかな女の子たちを、私は案外さっぱりしたきもちでみつめていた。
彼はなんにもきかないでくれていた。


その時、知らない番号から携帯電話がなった。

恐る恐る出たら、向こうも恐る恐るわたしの名前を口にした。


「成人式、こないの~?」


卒業以来の、中学校の同級生だった。
懐かしい声。びっくりした。


何だかもやもやムニャムニャといいわけをした。
顔がかあっと熱くなったのをまだ覚えている。


思いあたる子みんなに電話をかけたんだろうか。
でも嬉しかったな。


嬉しかった。

私、あのときちゃんとお礼いえたかしら。

結局そのあとも不義理だったのはこっち。
寂しがり屋のくせにそうなんだ。


いつか会えたら伝えなきゃ。


今年も思いだすのは
強烈なヒリヒリと、なにもいわないでいてくれた彼と、あの子がくれた電話。



最近、20歳まで暮した家をみにいきました。

タイムスリップしたみたいに、ふわふわとした心地だったけど、同時に昨日もここにいたような気もした。

私たちが育った家は、新しい住人に大切に住まわれているようで
姉の部屋だった窓に、かわいい花壇がかけてありました。



トラウマ、というと大袈裟かもしれないけれど、
あのときの強烈なヒリヒリに
まだ追いかけられているようなところがある。

“ひとりぽっち”を誰かのせいにして恨んでみるのも辛いから
ひたすら自分のせいにした。


私は納得が、いっていなかったのだ。



「だれもわるくなかったんじゃないかな。」


最近オットにそういわれた。
なんか
ああそうだね〜、とふわと軽くなった。

「どうしたらいいかわからなかっただけじゃないかな、みんな。」


うん、そうだよね。


ほんとに、そうだね。



わかってたけど、誰かにいってもらえると


不思議と、素直に納得できるきがした。


ずっとどこかで、“ひとりぽっち”から逃げることが人生の目的になっていたきがする。


ほしいほしいと執着するということは
ない、ない、ない、とその度に意識することだ。




納得がいってなかった私は、随分と長いあいだ「ごんた」を捏ねていた。
それも必要だったのだろう。


もう散々、捏ね回した「ごんた」たち。

そろそろ手放せそうかい。
オットの言葉は合図のようだった。


「これから」
私はどうありたいか。
何を大事にしたいのか。

エネルギー全部、そちらに注いで生きてみたら、頑固に「消えるもんか」としがみついていた“ひとりぽっち”は、どんな顔に変わるかなあ。


そんなことを書こうとブログひらいたら、あの人が、ちょっとリンクしたようなストーリーを綴っていた。
行かなかった成人式。おねえちゃん。
わーお!

ほんとに交換日記みたいだね。

ありがとう、心配してくれて。
わたしもね、ザリガニみたいに脱皮したい!
おこたに、遊びにいかせてね。