冒険家
先週からウメちゃんに読みきかせしていたこちらの本。ついに1冊読破!
私も大好きだった、冒険物語。
エルマーがチューインガムやらリボンやらをリュックに詰め込んで旅支度をするくだりは、今読んでも心がワクワク 弾んでしまいました。
(どうも私は荷造りのシーンが好き。「魔女の宅急便」でも冒頭の荷造りシーン、何回も巻き戻してみたものです。
…それにしてはゲンジツの荷造り作業が苦行でしかないのはどうしたことでしょう?!)
約30年前の私は、サンドウィッチの中身が“ピーナツバター”なのにも憧れたなあ。
卵とか苺ジャムじゃないんだあ…ってね。
それにしても、ウメちゃんの物語への親和性・理解力のぐんぐんぐーんっとした成長っぷりには目を見張ります。
つい数ヶ月前は、文章が長めの絵本でも難しそうにしていたのになあ。
一方おもちくん(2歳)は、物語とお友達になるのはだいぶ先になりそう。
本棚から絵本を取り出してはページを繰る素振りは見せるものの、読み聞かせとなると、30秒…15 秒…いや5 秒とじっとしていられない!
まあ強制するものでもないしなあと鷹揚に構えるようにしていますが。
2歳違いの我が子たちの違い。男女差なのか?関係なく、個性なのか?
とにかくおもしろい。
そして、「おもしろい」と心から言えるようになったのは実は本当に最近のことで。
エネルギーとパッション大爆発!!のおもち氏にまったくついていけない“もんやり母”。
(ワタシって、ぼんやりというより“もんやり”って感じなんだナ…)
オットにも、「ママとおもちは相性がわるいんだよなあ。」とバッサリ。
(“仲が悪い”って意味ではなく。)
イライラ、ひやひやしながら、おもちくんの背中を追いかけたり、おもちくんの壊した「大切なもの」を泣く泣く片づけたり…
アッ、そんなことをしている間におもちがドブにはいってるじゃないの!!
育児サークルにいったって、なんせ本人がその場に留まっていられないんだもの。
毎月の楽しみにしていた習い事もやめてしまった。
話したいことが溜りに溜ってお友達家族と会ったって、ランチの時間はずっとおもちとお外で待機。
そんな日々にすっかり参ってしまって、「コドク」に押しつぶされそうになったときもありました。
いつも思い出す言葉があります。
くだんの「習い事」の場で、外に脱出しては連れ戻され大泣き大暴れをかましていたおもちくん。
その日ハジメマシテだったとあるお母さんが「おもちくんってすごくゲンキナンデスネエ…。」とつぶやくように声をかけてくれました。
「コドク」真っ最中の私は少なからず「うっ」っとなります。
そ、それって煩いってことかな。それとも「このコ大丈夫かしら。」って思われちゃった?
その時、一緒に来ていた友人が、笑顔でこう紹介してくれました。
「おもちくんはね、冒険家なの!好奇心がめっちゃ旺盛でね、いろいろみたいしチャレンジしたいんだよ。他の子に意地悪したりとかそういうことは全然しないよ。明るくってね。動きたいだけなの。」
するとそのハジメマシテさんも「わあ、そうなんだあ。」とにっこり。
そして、そして私は…
おもちを追いかけながら、必死に瞬きして涙がこぼれないようにしていました。
そうか、おもちは、冒険家かあ。
ああ、なんて素敵な表現をしてくれるんだろう。
その言葉で、なんておもちの命が輝いてみえるんだろう。
まだまだおもちは言葉を理解はしていない年齢で(というかもう走り出していて誰の言葉も耳に入っていなかったね。)だけど、もし本人がその言葉をプレゼントされたら、なんて嬉しくて安心することだろう。
私はその友人のことが大好きで尊敬しているのだけど、このとっさに出た子どもへの表現力に、彼女の素敵さが集約されているような気がします。
大変なことも楽しいことに、やっかいなこともおもしろいことに。
主体的に人生を楽しんでいる彼女の、子どもへの目線もやはりたくましく明るいもので。
そういう視線のもとで育つ子どもって、綺麗な水と空気のなか太陽の光を浴びて育つ花みたいなもの。
そして私にとっても、「おもちは冒険家」は子育てに明るく向かうおまじないの言葉にもなりました。
実は、ウメちゃんにエルマーシリーズを教えてくれたのもこの友人。
ふふ、らしいな。
さあ、ちいさな冒険家エルマーの続編をさっそくおうちに迎えよう。
賢くて勇気があってウィットに富んだエルマーと、新たな旅へ。