てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

上等、贅沢

ウメちゃんの幼稚園がお休みになってもうすぐ2ヶ月がたとうとしている。

多分もう少し、つづくだろうなあ。

巷ではオカアサンたちが家族の3食をこさえるのに苦労しているとのことで

多分に漏れず私もそうであったのだけれども

いまはもう朝と昼はほぼメニュー固定にしてしまったし

(シリアル・美味しい海苔のおにぎり・味噌汁・うどん・ラーメン・ピクルス。あとはご近所のお店のテイクアウトを応援こめて大いに利用。)

洗い物はウメちゃんが手伝ってくれるしで

あたまもからだも楽ちんだ。

それでも夜ご飯の準備だけで結構ウンウンいっている。

サラダと汁物とおかず2品が目標。でも汁物が抜けてしまったり、色味が茶色ーくて食欲そそらなかったり。

「なんかごめんよ」

というと、オットは「上等、上等」といってくれる。


上等、という言葉を、私達は気に入って結構よく使う。

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アフターコロナ

という言葉を最近目にして、なんだかこれも語呂が良くてちょっとだけ気に入っている。

少し視野が広くなる感じも。


とはいえ、まあほんとにどうなるのか。どうするのか。

無知なりに色々算段してみるのだ。


熱いシャワーを浴びながら。

(なんとなく、よくシャワーを浴びるようにしている。)


気分を変えたくてシャンプーを新しくした。

あまい蜂蜜のような香りにいちはやく反応してこどもたちがわれもわれもと寄ってくる。


3人で甘やかな泡に包まれて卵焼きになったような気分だ。


「贅沢だなあ」

としみじみ思った。

ノズルを回すだけででてくる熱いシャワーも

香り重視で買ったシャンプーも

スイッチひとつで洗い上げてくれる洗濯機も。

食器

食材

本たち

衣服

インターネット!


見渡せばわたしの身の回りにあるほとんどのものは、なくても生きていくには問題ない。だがあることでより豊かにしてくれる「贅沢品」ではないか。

シンプルに「いやあ、贅沢ぅ」と幸福感を噛み締め
満たされた気持ちになってしまったのだった。

ワタシ キゾクジャーン。

てね。

(ごく普通の一般主婦です。)

こんなにも贅沢品に囲まれながらも、これから来るらしい物不足や食糧不足に過剰に怯えるというのも滑稽なはなしだなあと

ひろびろとした気持ちにもなった。


夜、オットにそんな話をしたら

「そうそう。最近俺らがあれやこれや騒いでることのほとんどゼイタクなんだよね。」

と飄々とピクルスをつまんでいた。


今日のごはんも上等、上等。

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休校になったこどもたちの仕業でしょう。


風にのってリコーダーの音色がよくきこえてきます。


2020年の春を思い出すときは

雪の中の桜と

父の太ぶととした骨と

リコーダーの音色


だな。


明日、父の納骨です。

また1歩。

どんよりとした雨の日。


夫とおもちくんの瞼が腫れぼったい。

私は、歯が疼く。


大人は口数が少なく


こどもたちのはしゃぎぶりが、鈍く刺さる。


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はじめましての方にオンラインで教えてもらって ストレッチをした。

毎日なにかしら
オンラインのワークに参加している最近だ。

まだ慣れない
オンラインってやつ。

画面に向かって話すのが恥ずかしい。


時間になって、ログインするとき
一瞬凄く憂鬱になる。

でもポチっと入ってしまえば
結構なんてことなくて
そこそこリラックスしている自分がいるんだけどね。


学生の頃、これでよく遅刻していたなあと
感覚を思いだした。


繋がりたい 、交わりたい自分と
篭もりたがる、 “とりあえずパス”してしまいたがる自分とが
交錯する感じを。


今日はじめて画面越しにお会いした先生は
美しい雌のライオンを彷彿とさせる力強い身体とエネルギーの方で、すぐ好きになった。


続けてみよう。


直接お会いする日は、来るかなあ。


行きたいところに行けない。

会いたいひとに会えない。

自分の時間が持てない。


鬱屈としそうな日々だけど、

巷ではオンラインの活動が盛んになってきていて

それは
今まで、幼いこどもがいることで
飲み込んできた
諦めていた
「いま、やってみたい」のあれこれへの扉をあけてくれたような感じがして嬉しい。

自由を奪われたようで
自由がやってきたような。

不思議だ。


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夕方、ひとりでスーパーに買い物に出る。

店の入口で消毒液を手に刷り込む。


あまり人に接近しないように
長居しないように…


そんな所作や心がけ
こちらはだいぶ慣れてしまった。

来年か、そのまた翌年か。
懐かしく思い返しているだろうか。

ウメちゃんとおもちくんに食べものの名前を教えながら、買い物をしているだろうか。

生鮮食品の売り場は、ほのかに光を感じる。

いきいきとしたいのちの光。

ほっとする。心が潤う。

光っていない食べものも、ある。

妙にギラギラとグロテスクなエネルギーを感じるものも。


自分の感覚に従って選ぶ。


つやつやとした、苺をカゴに入れた。


一日中家で倦んでいるこどもたちのところに連れて帰りたいと思ったのだ。


でも、夕飯のあと出すのをすっかり忘れていた〜!


そういうところよねー。
もんやりかあさん。


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明日は晴れるかな。

苺を食べて

オンラインでストレッチして

祖母に電話をかけて

父の遺した庭に花と、野菜の苗を植える。


忘れないように!



※そう、今日久しぶりのうたをきいて涙が出た。「Moor」といううた。

時間があって、大人の手が足りているいまの期間。

こどもたちの目標を決めてみた。

ウメ→自転車に乗れるようになる。ひらがながかけるようになる。

おもち→おむつをとる。


ウメちゃんの目標は、ウメちゃん本人の「できるようになりたい」との強い希望により。

驚くべきスピードで獲得していっている。


おもちは、わたしが勝手にきめた。

全くすすまない。



大好きなキャラクターのついたパンツを買った。

いっちょまえに、ボクサーブリーフタイプ。

みた瞬間は華やいだ顔をしていたのに

身につけた姿を「かっこいい!かっこいい!」と家族で誉めそやしたら
急に泣き出してパンツを脱ぎほおり捨てた。

こちらの「のせよう」という意図がいやらしすぎたな。

ごめんー。


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数年前に、友人と話していて。

自分の行動に迷いが生じたときにどうすればいいか、という私の問いに

「何かをする動機が、“不安や恐れを回避するため”だと結局うまく運ばない気がする。」

と彼女が答えてくれた。


鎖されていた窓がひらいて遠くの風景がみえたような気持ちになったのを強く覚えている。


同義の言葉を、その後も何人かの「好きだなあ」と感じている人物からきくことになる。

そのたびにハッとする。

ぶれた軸がピタッとする。




そのことをやっている自分を想像したときに

自分からふわと光が放たれるような。

そんな体感を大切に進んでいけると、いい。



わたしが、周りのウメちゃんと年の近い子の話をきいて、そろそろ「やらせなきゃ」「まずい」かな〜

なんて練習を勧めたときには
半泣きでがんとして拒否した自転車もひらがなも

そうか、じゃあいいや〜って手放していたら

ウメちゃんのタイミングで、恐らく誰かに憧れて、

キラキラと光を放ちながら獲得していった。


(途中、うまくいかないもどかしさや転ぶ恐怖にまけて屁理屈こねてやめようとしたときは、昭和なやり方で鼓舞してしまったんだけど。ここを超えると喜びがあるっていうのを体感してほしかったんだけど、まー、ほんと昭和。叱咤、脅し的な。これは私の課題だなあ。)


いいもんみせてもらったなあ。

わたしもあの光、また放ちたい。


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おもちのパンツは潔くタンスにしまいました。

ちゃーんと おもちは意識しています。


いつかおもちから光が放たれる瞬間を、キャッチできるときまで、楽しみに ゆらと 待とう。

半音ずれて

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ふらふらと、毎日外に出ています。

自分の気持ちのために。

こどもたちのために。


こんな綺麗だったかなあ。
私の住む街は。
父が住んでいた街は。




満開の桜に深々と降る雪。


これはオットの運転する車の窓を通して観た。
義実家に向かう、道すがら。



空から降ってくる雪の速度は独特の美しさ。

雨より半音遅れているような。


ずっとみていても飽きない。


空気が潤って呼吸しやすくて
ずっとこのまま車に乗っていたいなあと思った。

義実家に行ったら「それ用」の感覚にチューニングする。
それは決して苦ではないけれど

なんにもチューニングしない状態で綺麗なものをみていたかった。


「じいじもお空から降ってこないかしら。」


後部座席からウメちゃんの声が聴こえて


夫と目を合わせた。


なんて素敵なことをいうのかしらねぇとしみじみ言い合った。



「ジイジハオソラノウエカラズットミテルカラネ」


周りの大人から散々吹き込まれたそのフレーズが、ウメちゃんの中でちゃんと生きた物語になっている。





今日は霧雨の降る中、広い広い公園を散歩した。


天然のミストで幻想的になった
春の柔らかい野原を。


池の中につくられた遊歩道。

水面とほぼ同じ高さを歩いていると、なんとも胸が自由にひらいてくる。


おもちくんがお気に入りのパトカーのおもちゃに効果音をつけながら、はいつくばって並走する。


向う側から歩いてきた壮年の男性が
その姿をみて「ふふ」と笑う。

ウメちゃんが先に気づいて「ふふふ」

おもちくんもやっと気づいて「へへへ」


わざとおどけた仕草で笑うおもちくんをみてオジサンまた「いひひひ」


会釈をして通り過ぎた。

ハンチング帽を被ってチェックのシャツを着たおじさん。
傘をささない霧雨の散歩仲間。





お父さんに会いたいな。







まだ哀しさも寂しさもフワフワと掴みどころがない。


まさに自分が半音ずれてる感じ。


今月末の納骨まではモラトリアムを自分に許そうと思ってるけど、幼稚園の新年度とかうまく「おかあさん」出来るのか。はあ。



フワフワだけど

ハッキリと、今までとは全てが違うなということだけが全身で感じている。


いままで気に留めていなかったものやことの
美しさに気づいて愕然としていたり


逆に価値を置いていたもの、執着していたものにばっさりと興味が無くなっていたりする。


これらもまた変化していくんだろうか。


親の死はギフト


理解していて
そしてこれからもっと髄から「わかる」瞬間がいっぱいあるだろうな。そのことにオープンでいようと思う。



こんなブログだれが読むんかね、と思うけどこれは続けよう。

感謝

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父を荼毘に付した火葬場は
石造りの 広い広い モダン な美術館のような建物で
(なんでもない時でも通いたくなるくらいだ!)

葬儀場からの道は、父が大好きだった見沼の春の田畑が絶景で

よかったなあ。



父の骨はしっかりと、ふとぶととしていて

勿体ない

と思った。


食べたい

と思った自分に驚いた。



4歳のウメちゃんは、死をまだ理解しきれない。
それが切なくて、でも可愛くて、救われた。

棺の蓋をしたあと、わたしの耳もとで

「じいじ、息できるのかね」
「まっくらだと怖くないかね」
と心配そうに囁いたウメちゃん。


骨壷を抱いて出てきた私に「じいじは?」ときくので、「ここにいるよ」と壺を示すと
「そんなちっちゃい箱にはいるもんか」と頬を膨らましたウメちゃん。


こどもたちが幼くてよかった。

救われた。



私は、父とうまく話せなかった時期が長かった。

父に多大な影響を受けて育ったからこそ、父子分離がなかなかできなかった。私はねじ曲がったファザーコンプレックスだ。

ぶつかる、ことすらできなくて、その手前で燻って気が狂いそうだった。

ウメちゃんとおもちが生まれたことで、石灰化したものが崩れ(崩さざるを得なくなって)
ぶつかり
砕け
こどもたちを介して気付かされ
癒され。

最期の1,2年はもう私のなかで愛しかなかった。

父との関係性をここまで持っていくことは、私の人生前半の最大の課題だった。そして私はそれを、成し遂げることができた。

この1,2年、実家から帰る車中でいつも幸せを噛み締めていた。

かみさま、ありがとう。
こんな穏やかな気持ちで過ごせる父との時間をくれてありがとう、と。

それはほんとに短かったけれど

それでも。



父は孫をとても愛していて、自分の子育て(私を育てていたとき)からは考えられないくらい甘かったけど

父が1番愛おしい存在は、もう中年になった私
だと確信もしていた。

父は行動の端々でそれを示してくれていた。



もちろん
悲しい
寂しい。


ふとした瞬間に飲み込まれそうになる。



いかないで
いかないで
おとうさん

怖い。


叫びたくなる。


でも一方で、しっかりとした声が聴こえる。


間に合った。
後悔ないな。


って。


こんなに寂しいのも
同時にこんなに感謝を感じるのも
生まれて初めてだ。


ウメちゃんとおもちには感謝してもしきれない。


全部繋がっていて、生かされてるんだね。

晴天の風

父が急逝してしまいました。

私のなまえをくれたひと。

私をおかあさんにしてくれたひと。


今日、荼毘に付す。



それがこんなに恐ろしいなんて。

今日の今日、この朝になるまでわからなかった。




この数日間の
春めいた晴天と強風に救われた。
川手がキラキラと輝いて。


パワフルでやんちゃなエネルギーが満ちる。

春に救われた。

ありがたい。


今日もこんなに晴天。


ありがたい。



鴨居にかけた黒いワンピースを着るのがこんなに嫌なんて。


もう10分以上睨めっこして胃が痛くなってきてしまった。


さあ。着替えます。

えらんでいるのは

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ウメちゃんがシールブックや粘土で遊ぼうとすると、必ずおもちくんが横から邪魔をする。

ダメよっていわれると手をあげてしまうおもちくん。

やり返さないウメちゃん。

もー、しょうがないなあっておもちくんに譲ってあげて、サッパリした顔をしてるときもあれば

むにゃむにゃと文句をいいながら私に訴えてきたり

怒鳴ったりやり返すときもたまにある。



わたしは、年のうんと離れた姉兄と一緒に育ったから、たまにからかわれて泣くことはあっても、基本的に兄弟喧嘩とかもしたことなかったし

物心ついたときにはもう兄も姉も学校に通っていたし、2人には自室があった。

だから
ウメちゃんみたいな体験をしたことのないわたしはいつも
お姉ちゃん、すごい
えらいって褒めてた。
心からそう思ってた。


だけど
今日ウメちゃんにおはなしをしました。


最近、ウメちゃんがおもちくんにどうしても触ってほしくない遊びをできるスペースを、2階につくった。

ちょっと寂しいかもしれないけど、ゆっくり集中したいときはできるスペースができた。
(少し大きい声を出したらやりとりもできる)


今日ウメちゃんは粘土がやりたくて、できればママやおもちくんがいる空間で、やりたい。(きもちわかる)

でもおもちくんに触られたくない。

おもちくんに触られると、「あーん」とか「いやなのにぃ」とかカワイソウナコエを出しながら、視線はずっとママ(わたし)。


なんども

おもちくんに触られたくないなら2階にいきなー
リビングでやりたいならおもちくんにやらせてあげなー
自分でダメってはっきりおもちくんにいってみなー
代わりに使ってもいい道具を渡してあげたらおもちくん落ち着くよ。


と助言してもなにも行動を変えず、おもちにやられっぱなしで甘えた声で
「あーん」「マーマー」と上目遣いで訴え続けるウメちゃん。

ついに

「ウメちゃん!自分で選んでるんだよー。」


そういってしまった。


「選択肢は沢山あるのに、困った状況でグズグズしているのはウメちゃんだよー!」


ウメちゃんは、目を真ん丸にしてだまってしまった。


ウメちゃんは
かわいそうなウメちゃん。
弟にやりかさない優しいお姉ちゃん。
のポジションを自分で選んでる。


って、さすがにそこまでは言わなかったけど。

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わたしいつも
4歳のウメちゃんがあまりにいじらしいから
いじらしいね
えらいねって
ママはわかってるよ
って
その度にたくさん言っていた。

(ちゃんとみてるよって伝えたかった。)


ウメちゃん
「かわいそうな、がまんがまんのおねえちゃん」で居ることで自分の価値やママの愛を獲得しようとしてるかもしれない。

と、ぴしゃーんと思った。

そして

それはつまり、私自身のなかにそういうところがあるということ。


だからウメちゃんのなかでは全然違うことが起きてるのかもしれない。


私が。

「悩んでいる」
その立場って自分がとりたくて選んでたんじゃないかな。わたし「悩める母」でいたかったんじゃないかな。

って最近省みることがあったんだ。


それはまた違う機会に書こう。


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ウメちゃんは、わたしに「自分で選んでるんだよ」
といわれて、どこまでどう理解したか。

傷ついたかなあ。

ウメちゃんが「いじらしいお姉ちゃん」辞めちゃったら、たぶんいちばん困るのは、わたし。

だからやっぱりここでおはなししてよかったと思うんだ。


とにかく、ウメちゃんはすっと地に足がついた顔になって
粘土の箱とふたに、粘土を2等分して

おもちとふたりで楽しく遊べたのでした。

いまも遊んでる。

すごい集中力。


ウメちゃんはプリンセスのケーキ屋さん。

おもちくんは「かっくいー」お寿司屋さん。