灯る
改めて数えてみたら、どうやら最後にブログというものを書いたのは15年前だったようです。
がびーん
と、呟く台詞も 多分年相応に 古い。
今年、36歳になった者です。
実は、37歳になったと勘違いをしていて、夫に間違いを指摘されてびっくりしてしまいました。
きっと、10年前の自分がきいたら、「36も37も変わらないよ」と一笑に伏すに違いないけれど
なんだか1年分得をしたような気分になったのでした。(シテナイケドネ)
いずれにしても
自分の齢をどう取り扱ってよいか
今年もなんだか心もとないまま暮れを迎えようとしているのですが。
‥‥
15年前も今も変わらず、言葉が、文が好きです。読むことも、書くことも。
15年前流行っていたのはmixi
次に台頭したのがfacebook
やがてInstagramなるものが現れ
「よみかき好き」としては漏れなく参加してみたのですが
(Twitterはどうにも馴染まなかった。文字数制限があるからだろうか。)
ふと、SNSから、自分の求めている「きもち」が得られなくなっていることに気がついて、ブログに戻ってたのでした。
格好つけないで綴りたいと思っているけど、この文章が すでにだいぶ、格好つけているかもしれない。
むむむ‥
どうも改まってしまう!
まあ すぐに慣れるでしょう。
‥‥
先日、友人から、ずっと続けてきたというブログのアドレスを教えてもらいました。
文章を書くことが好きだという友人。
その綴られた文章のあまりの「よさ」に、布団をかぶって夢中になって読み込みました。
こどもたちが、私の入っている布団の山を駆け上がり駆け下りはしゃいでいる中で
にやにやと笑涎を垂らしたり、ツンと湧いてくる鼻水を啜りながら。
何か啓蒙的なメッセージがあるわけではない。
ごく自然な、易しい言葉で日常を連ねた、その文章の、瑞々しさ。
易しい言葉だからこそにじみ出る、彼女の思慮深さ。しなやかな強さと弱さと、優しさ。
“生活万歳!”
なんだかそんな風に叫びたくなったのです。
そうだ、これだこれだ。
私がかつて、SNSというツールに求めていた「きもち」。
久々に、心の「この部分」に灯がともったなあと感慨深く目を閉じました。
‥‥
そんな素敵な文章を生み出す彼女は
私のことを「丁寧なひと」と呼びます。
最初それを聞いたときは、たまげた!
そ‥それは‥
お洒落な雑誌の表紙に『ていねいな暮らし』とかなんとか書いてあるのを目にすると、反射的に「許してください」と謝りたくなる、この私のこと
デスカ?
どちらかというと、私は「めんどくさい人」である。
うん、しっくり。
でも、彼女からもらった「丁寧」はなんともこそばゆく嬉しかった。(こうして書くと、漢字も可愛い。丁寧。)
粗雑でポンコツな私だけれど、どうしても足をとめて丁寧にみつめたいものやことがある気がするんです。
そんなことをここに綴れたらいいなあと思っております。
ドウゾヨロシク。