てっても ふっても

絵と本と珈琲が好きなポンコツかあちゃん。娘ウメちゃん 息子おもち とのプカプカな毎日 その考察。

大切なひと

言葉が溢れでてくるモードである。

いまのうちにいっぱい書いちゃう。




長い間、あるひとのことを心の奥で責めていた。


もっというと、責める気持ちをいつまでももっている自分が、情けなくて、つらかった。


かつてとても親しくしているひとだった。
大切なひとだった。
むこうもそう感じていてくれていると思っていた。

「だからこうしてくれるでしょう」

と勝手に期待していたものを、相手からもらえなかった。


そのことに深く傷ついていた。


相手にその気持ちをぶつけることはなかった。

それはお門違いだろう、とちゃんとわかっていた。

相手に勝手な期待を押し付けてはいけない。
コントロールする権利なんてない。
こういうふうに愛してくれ、なんて誰かにいう権利なんてない。


そのうえ、相手は時間がたってからわたしに謝ってさえくれたのだ。


ううん、ぜんぜん。

わたしは全く傷ついてなかったような顔をした気がする。


それが原因というわけじゃなく、わたしたちは時間をともにしなくなった。


そして、傷ついた気持ちだけが何かの象徴のように残った。


被害者でいることで逃げていたのかもしれない
といまは思う。

思える。


いまは、全然恨んでいないから。


たくさんの時間がたって

たくさんの価値観やたくさんの視点を知って

グジグジしたきもちは、ほろっ、ほろっとほどけていった。

ほどけるたびに、傷ついた記憶が蘇る回数が減り、そのかわりに、同じ相手からもらった励ましの言葉や、思いやりのことを思い出すようになった。



この間、ひとりで夜中に散歩していたときに、
またあのひとの顔が浮かんだ。


もう全く、なんの濁りも痛みもなく、ただ親しい気持ちで思い出していることに気がついた。


きっと


傷ついた記憶を思い返した回数より

「ありがとう」を思い返した回数のほうが

上回ったんじゃないかな、と思う。


(もちろん数えてないけどね😂)



わたしたちが共に過ごさなくなったのは

どちらも悪くない。

私たちがそれぞれ乗ったボートが

それぞれの軌道にのって

道が別れただけなんだ。


わたしが勝手に傷ついたのとおなじくらい

いやそれ以上に

わたしも相手をがっかりさせていたろうなと

いまはわかる。


ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。


ありがとう。


大切なひとだったのに
大切だっていったくせに

って


いつまでウラミがましく囚われているのだろう。
都合のいいときだけ引っ張り出してきてさ。
と自分にもほとほと呆れていたが

わかっていても
わかっているはずでも

なかなかすっぱりと囚われから抜け出せなかった。


でもちゃんとこういう場所にたどりつけた。



この経験にも感謝だし

これからも、たびたびにあのひとの励ましの言葉をおもいだして支えられるんじゃないかなと思う。


やっぱりあの人は、わたしの大切なひとだった。

と思えたら、夜空がすこーんと高くなったきがした。


年取るって、いいなあ。


それから、多分。

愛憎の気持ちを抱いていた父との関係が
死別により、愛100%でわたしのなかで着地したことが
他の人間関係のとらえかたにも影響を与えた気がしてならない。

「親の死は、親が子に与える最大のギフトである」

という言葉をきいたことがある。

こういうことか、と最近しみじみ感じる。


感謝だなあ。



もう会うことのないだろうあのひとの中に残っているわたしも
願わくば
ちょっとはいいこと、できてますように。

育む才

前回のブログから72日も経ってしまったらしい。

なんとか続けるために、書く。

もうなんか方向性もわからなくなっているけど笑 ともかく書く。


72日間の間に色々なことがあった。

いいこともそうでないことも。

前回「今までと違う歩き方をしたい」

と書いていたけど

気がつくとまた同じような歩き方をして

おなじような迷い方をして

おなじような転び方をしている。

うずくまって、恨めしげに空をみあげ

抱き起こしてくれる「だれか」をまってみたり。


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わたしは世話焼きではない。

世話をすることに、さほど喜びを感じない。


…正直にいうと、たまに 苦痛すら感じる。


そのことが、いつもどこかコンプレックスだった。

なんというか、女性として劣っている感じがするのだ。

(それが馬鹿げた発想なのはわかっているのだけど!)


動物が大好きだけど飼わないでいる。



だけど

例えば性格診断とか
あるいは占いの類で

よくいわれるのだ。

「あなたは育む才がある」と。


そのたびに、


うーん!?


となる。


あるとき、リーディングを受けて

あなたは人を育てる才がありますね、といったそのおじさんのことが、なんだかとても「いいな」と感じたわたしは正直に違和感を伝えた。


「だってわたし、何かの世話をしたり面倒をみたりするのがすごく苦手なんですよ…」

そうしたらそのおじさんは、ふっとリーダーの顔からひとりのおじさんの顔になって、笑った。


うん。だからこそでしょ。
だからこそ育てる才能があるんだよ。



その言葉が、「あー…!」とすごく腑に落ちたから、今でも鮮明に覚えているのだ。


世話することと育てることは 違うんだ。


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母親としてのわたしはポンコツがすぎて

心底わがこたちが可哀想だと思ってしまうときがある。

自分の気質がよくわかっているから、大好きな動物を飼わないでいるのに

人間のこどもを迷いなくつくってしまったよ…

と、とほほとなる。

世話、でいえば最低限のことしかしていない。

たまに気が向いて甲斐甲斐しく世話焼きをしてやると、ふたりはとても嬉しそうに、甘やかな笑顔をみせる。

その顔をみるとわたしもまた甘やかな気持ちになって
わがこたちが幼く、母を求める時期はみじかいのだから、もっともっとこうしてやりたい
なんて思う。

だけど次の瞬間、そのモードはどっかにいっちゃうんだよなあ。

あーあ。

ほんとうにごめん。

(ここで謝ってどうする。)


でも、こどもたちをみてると
世話を焼かれて甘えてるときより

できることが増えてどんどん自立していってることを感じてるときのほうが

やっぱりいい顔してる気がする。

(私の希望的観測もはいってる…)


「安心」の種類が違うんだろうな。

自分への信頼を獲得していくのはとても「安心」だよね。


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私が性懲りも無く同じ歩き方をして、迷子になって、けつまずいて、痛い辛いとわめいているのも
ある意味「安心」だからなんだろう。

お馴染みの、慣れ親しんだ行為。

転んだら抱き起こしてくれるひとがいる安心感は素敵だけど

次も抱き起こしてくれるよね?

と心がさもしくなっていく気も、する。

ああもしかして、「抱き起こしてもらえる自分」を確認したくて、無意識に繰り返している行動だったりして…?



育むとは なんだろう。

なんて考えていたら

「心配するのではなく、信頼する」という言葉にであった。


必要な言葉が必要なときに飛び込んでくるんだよなあ。


それは子育てについての言葉だったんだけど

わたしは
自分を育んでみよう、と思う。

自分へも、自分の大切なひとへも

心配をやめよう。

目先の安心を得るためにしていることをやめてみよう。

ただ、信頼してみよう。







あのおじさんに、また会いたいなあ

巡りのなかにいる 1

去年末くらいから
汚泥のなかで蠢いているような期間があった。

自分のなかの時計がとまり、空気がとまり、腐っていく。

それをどうにもできないままただ過ごしていた。

生き物だから当然バイオリズムがある。

陽があり陰がある。

波に乗るようにそれらを繰り返して生きていくのが自然だ。

だけど今回の「陰」はなんだか随分と粘っこくしつこかった。

このまんまじゃ、まじでやばいぞ、と
貞子のようにズルズルと動いて

まずは家の掃除。
何も考えずただ体を動かせ。

掃除というより、とにかくものを捨てた。

視界にうつる空間に若干の余白ができ始めると
気持ちも楽になる。

何にも興味が持てなくなり、可能な限りの時間を毛布にくるまり、毒にも薬にもならぬようなネットの記事や漫画を読み漁る日々だったのが

ソファにこしかけ、何冊かの新しい本を読むようになる。

それが、「ああ、今読むべくして読んでいるのだな」と感じられるもので。


だいぶ『人と会っても大丈夫な自分』になったところで、示し合わせたように久しぶりの友人から会おうと連絡がくる。
何人かの、なつかしい友人と対話をした。

(人を招くにあたりまた家の掃除をした。)


とてもいい時間で。


その頃には随分と「脱皮」が一段落したような気持ちになった。

この「脱皮」
調子の悪くなったこの数カ月だけでなくて

ほんとはもっと前から始まっていたのかもしれないと気づいた。

1年前、父が亡くなった頃からだろうか。

それはおおきなきっかけだった。

でも、脱いだ皮はおそらく、もっととんでもなく前からわたしにこびりついていたものだった。

脱ぐのに随分な時間とエネルギーを要したんだな。
そりゃあそうか。
20年モノぐらいの皮だからな。

ああ、くたびれた。

気づけば立春

梅の花の色が泣けるほど愛おしく胸に入ってくる。


わたしはわたしのままだけど
どこか少しだけスッキリとして、鏡のなかから見つめ返してくる。

ほんの少しだけ。脱いだ皮の薄さだけ。

わたしはわたしのままだから

きっと無意識でいたら
また今までと同じような皮を纏おうとしてしまうだろう。

(だから、気がつくとまた同じ袋小路のなかで佇んでいるような気持ちになるんだ。)

だから少しだけ、意図的に歩き方を変えてみるとしよう。

このブログも全然書けなかった。

また書き始めます。


こんなで、ウメちゃんとおもちが可哀相だなあと思ってしまうけれど

最近こどもたちはますます元気で優しくおもしろい存在でいてくれている。

ありがたい。心から。

ごめんなさい

ごめんね
ごめんなさい

という言葉を乱用しすぎかもしれないなあ

と思う今日この頃。

これ以上謝ってほしくない

とあるひとに言われた。

厳しい。
でも仕方がない。

ごめんといわれたらいいよと言わなければいけないような流れになる。

いいよ、といいたくないときもある。

いいよ、といってやりたくない、私だったのだ。

ごめんなさい
(と、もう相手にいえないのでここで言ってみたり。)


そして、立ち止まる機会になった。

実は随分前から気づいていた。
自分の言葉に混ざる、濁りに。


わたしが使う「ごめん」は、相手の気持ちを慮っていますというアピールの場合が多い。

じゃあほんとはもっと他の言葉があるじゃないかと振り返る。


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多様するようになったのは

なにより自分が
あやまって欲しかった。という想いがある。

アヤマッテヨ。

手繰れば、それは小さな頃。親に対しての想いだ。

ごめんとひとこといってもらえればすべては溶けるのにな、と。
頑なにその言葉がもらえないことは、私の自己肯定感ってやつをかなり下げた。

あの頃の憤りを慰めるように、報いるように
私は誰かに謝っている気がする。

(いや、謝るべきときは謝るんでいいんだが。)

慮ってほしい気持ちを渦巻かせ、誰かの「ごめん」を必要以上に乞うときがある。


親への想いはとっくに昇華したけど、(自分が子育てをしていくなかで継続的に癒されている)

いまだある種の癖として、こんがらがった意味をもたせてしまっているかもしれないな、「ごめん」という言葉に。

いちど解いて、いろんな角度から眺めてみたい。
それからもう1度
平らかに使えるように、受け取れるようになりたいと
受けとってもらえなかった言葉を手のひらで持て余しながら思った。

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そうだ。
小学生のとき。

1度だけ、父から真っ直ぐな「ごめんな」を受けとったときがあった。

あれは夢だったのかと思うほど
別人のように優しい静かな声で父は謝った。

びっくりして顔がみれなくて、代わりにじっと眺めた小さな棚の木目模様まで鮮明に覚えている。

嬉しかったんだよなあ。

すごくすごく。

それが、他意が一切ない本当に誠実な言葉だったから。

どんな台詞も、誠実に送られたらそれは「愛してる」と同義語だ。


わたしの使っている「ごめんなさい」は、誠実さのつもりが、いつのまにか濁っていたかもしれない。

嫌わないで欲しいという怯えや、ご機嫌伺いや、相手から安心できる言葉を引き出すための手段になっていたのかもしれない。

受け取らなかったあの人は、それを強く感じとったのだろう。
そしてちゃんと私に伝えた。
無視することも、適当に「いいよ」ということも出来たのに。

じゃあ

誠実さ を受けとったのは、私だったではないか。

それはわたしに送られたものではなくて、自分自身に対するものだったかもしれない。

でも、受け取れた今、それは私のギフトにもなったのだ。

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ごめんね
ごめんなさい

いちど解いて、いろんな角度から眺めてみたい。
それからもう1度
平らかに使えるように、受け取れるようになりたい。

今ならもう、それが出来る気がしている。

はじめてオンライン絵本会をひらいてみました。

ゆるーくね
ゆるーくね
と予防線をはりまくり、おそるおそる。

でもとてもいい時間だったなあ。

ミナポッケ久々に集まれた。
「パパお月さまとって!」withクニトウマユミ
また出来て嬉しかった。

ありがとう。

どんなにすばらしいものが目の前にあっても
意識をむけなければないのとおなじこと

ということは

たとえ目に見えるかたちを失ったものでも
意識をむけることさえできればそれはいつでも「ある」

この数ヶ月で想ったこと。
うまく言葉にできなかったけど、誰かにきいてほしかったこと。



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数日前、ウメちゃんの発案で、我が家にてづくりの仏壇ができた。

私が不安定にめそめそしているのをみて、彼女なりにどうにかしたい、しようと考えてくれたのだろう。

自分の描いた「ののさま」の絵をかざり
おもちゃのベルをおき。

そして、「かとりせんこう」がほしいと訴える。

さすがに蚊取り線香はなあ、と
洋間にもあう香を探した。

青山フラワーマーケットのお香があることを知って早速注文した。

なかなかいい。

香らしさありつつ、「匂い」というより「フレグランス」ってかんじ。
煙も少ない。

そういえばなんで仏壇で香炊くんだっけって調べたら、煙が天とこの世をつないでいる間、あの世にいるひととお話ができるっていわれているんだって。


つまり、意識をむける時間だ。



植物の世話をするのが好きだった父を知っている友人の贈ってくれた言葉にすごく救われて、そのきもちが言葉じゃとても伝えられないから、父の庭の花をすこしお裾分けした。

そしたらその花を押し花にして、また贈ってくれた。

流石だな、とおもった。

彼女は流石なんだよ。

本人にいったら「そんなそんなそんな」とめちゃくちゃ謙遜しそうだけど笑


押し花も、ウメちゃんの仏壇に一緒に置こう。

ウマレルワカレル、甘い世界

ウメちゃんが生まれたあと、しばらくして街を歩くようになって

みんな
みんな
みんなに

「お母さん」というものがいて
壮絶な痛みを介して生まれてきたんだなあ

という

アタリマエ

のことが急にじわーんとリアルに実感して感動したものだった。

おもちくんを産んで育てながら
男の人というものを見る目がすっかりかわってしまった。

あの強面のおじさんも

思い出すだけで脇の下にじわんと汗をかいてしまうくらい、怖くて苦手だった上司も

テレビに出てくるどこぞの大統領も

みーんな

この私の腕のなかでぷくぷくのほっぺを押し付けている、ママがだいすき、おっぱいだいすき、やきもちやきのお調子乗りの、ちいさな男の子の延長なんだなあ、とリアルに知ってしまったから

そうか そうか。

と、笑いたくなるような
でもなんだかとてつもなく切ないような気持ちになる。

ちょっとだけあった“男の人が怖い”ような気持ち(子供の時に男子に侮辱的なことをいわれた記憶からだと思う)は

ゆうらりと溶けていった。



そうか そうか 。



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先だって、父が亡くなったことは
まだなんだか現実じゃないような感覚もありながら
一方で圧倒的なリアリティがあった。

それからというもの、ふと街を往く年配の方々をみるとぎゅーーっと切なくなる。

恐らく、彼らはみな、自分の親との別れを体験しているだろうから。

みんな、みんなあれを経験しているのか。

(もしくはこれからするのか。)

アタリマエはぎゅわんと私を切なく、そして無性に甘い、愛おしいような気持ちになる。

みんな、寂しいね。

でも、みんな、一緒だね。


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亡くしたことで父をとても近く感じるようになったわたしは

これからも生きる寂しさを感じることはたくさんだろうけれども
本当の意味での孤独な生き物にはなり得ないのだと知った。

生まれたときからそうなんだね。

わたしも。
みんなも。


産まれたり産んだり大切な誰かを亡くしたりしながら年をとっていく。

そうやって私の目に映る世界は甘やかになっていくのだろうか。


痛みを伴いながら、甘く。


いいもんだなあ。

ハナモモの女の子

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うちのウメちゃんはとっても「女の子らしい」


オンナノコラシイってナンダ?


というのはさておき。


ピンクやレースやプリンセスを好み

ちいさいものかわいいもののお世話したがりで

お菓子作りやお人形遊びが大好きで


なんというか、私とはチガウイキモノっていう感じがして、可愛らしいなあ、と思う。



わたしは、そういうものからあえて距離をとって生きてきた気がする。

うんとちいさいときはお姫様になりたかったと思ってたはず。

でもやがて

わたしには似合わない、と思う様になったし

わたしの親がそういう「女の子らしい女の子」的なものを好まなかった(ように感じていた)からというのも大きい。

(髪も短くすることを常に推されていた。)

そうやって思い返すとちょっぴり寂しい気もする。

でもまあ

今、自分が好きなものは、やっぱり心から好きと思うものだ。これでよい。

(髪も自らの意思でベリーベリーショート。これがまたわたしによく似合うのさ。)


そして、ウメちゃんには思う存分ぶりぶりと女の子を満喫してほしいなあ、なんて思っている。


私の好きなテイストとウメちゃんの好きなテイストが全然違うので

連れ立っていると私の友人などはおもしろいという。


わたしはそれが(母娘でテイストが全くちがうこと)なんだか自由でうれしいと思っている。



ウメちゃんがお腹にやってきたとき、6ヶ月過ぎまで胎動が感じられなかった。


いつもドキドキと、震えんばかりに検診にいっていた。生きているだろうか、私の子は。

ある日とてもブルーな気持ちで徒歩で病院に向かっているときに

ふと思いついて遠回りをした。


そうしたらあるお宅の庭に、大きなおおきなハナモモの木があって

鮮やかなピンクの花を満開にしていて

それを見上げて、鮮烈なまでの美しさにうたれたその瞬間に

「ああ、きっとお腹の子はとても生きるエネルギーのある女の子だろう。」と思った。

そしてすごく元気な気持ちで検診に臨み、その日、ウメちゃんが女の子であることを知ったのだった。


女の子を育てているとときに苦しい。


同性だから、自分を投影しやすいみたい。
境界線を侵食しそうになる。

そのたびに、ふるふると頭をふって自分に言い聞かせる。

この子はこの子よ。


ウメちゃんに会えて嬉しい。


我が家の植え込みにあるハナモモは育ちがよすぎて

毎年花や実が大量に落ちてご近所に迷惑だから
切ってしまおうかと毎年思うのだけど

その度にあの、大きくなってきたお腹をかかえて不安げに歩くわたしと、鮮やかなハナモモを思い出して、思い直すのだ。

今年も花と実の掃除、がんばることにします。